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□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ メルマガ国際平和 No.44 2003年12月14日 http://www.jaip.org □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■□□□□ 森に生きる人だけが、森を守ることができる 映像作家&「観照ボランティア協会」事務局長 三木 實 つい先頃の八月、わたしは、照りつける熱帯の日射しに、溢れるほどの汗を流 しつつ、フィリピンの山道を登っていた。植林に適した場所を探すためである。 ほとんど道らしい道もなく、スコールで削られた谷間を、息を切らして這い上が りながら「やっと、木を植えるところまできたか」という感慨に捕らわれていた。 わたしが熱帯林保護のためのボランティア活動を始めたのは、今からちょうど、 三年前であった。それまで私は、ドキュメンタリー映像作家として永年、仕事を 続けていた。その仕事暦は、もう四〇年近くなっていた。なかでも、テレビ番組 や教育分野など、さまざまな形で熱帯地域や世界の秘境といわれる地方を取材し て歩くことが多かった。それはアフリカからインド、東南アジア、南太平洋、ニ ューギニア、アマゾンまでの赤道周辺の熱帯林地帯におよんだのである。 熱帯林に入り、記録映画を製作 若い頃、冒険心と多少の民族学的興味から、ボルネオ島サバ州の熱帯林に入り、 バジャウ族と生活を共にしながら記録映画を製作した経験が、この道を歩むこと になったきっかけであるが、勿論、当時は唯ひたすら、映画を創りたい一心であ り、熱帯林内で暮らす人たちのことは、自分たちとは違う生き方をする未知の撮 影対象者に過ぎなかった。彼らが日々暮らす生活風習のなかに、生きる智恵と手 段の見事さを見いだしては感嘆し、夢中で記録した。また、彼らの生活をとりま く自然は、わたしの想像もおよばないような豊かさに満ちたものであり、生命の 営みに溢れた蠱惑の場所であった。そこは少年時代に胸を躍らせたジャングルブ ックの世界でもあったのである。スマトラで出会った巨大な花、ラフレシアや大 蛇、ニューギニアの極楽鳥やパンの実、ボルネオのオランウータン、タイやマレ ーシアの高さ五〇メートルにもなる巨木群、アマゾン上流域の目の覚めるような 色彩をもつ無数の蝶や昆虫、鳥。これらすべてが、わたしを別世界に連れて行っ た。熱帯の自然も、そこに生きる人々も、日頃、都市文明と格闘する生活に神経 をすりへらし消耗するわたしにとって、安らぎと休息の場所であった。たとえ、 肉体的には過酷な現場であっても。また、木はわたしにとって、いつもこのうえ なく心に迫る教師でもあった。木が民族や家族を守り、森や林をなして生えてい るとき、一本の木に尊厳と孤高を感ずる。梢のざわめきには世界のすべての法則 があり、根っこには無限の安らぎがある。それは偉大な人間の孤独に似ていて、 そばに来るものの心を抱きしめ、解放する。生きている喜びと安心感を教えられ るのは、わたしだけではあるまい。 時は過ぎてゆき、人間が生きる道標を哲学や思想に見いだしていた時代から、 地球全体の環境との共存を模索する時代へと変化していった。わたしの愛する熱 帯林地帯もその例外ではなかった。フランスの人類学者、レビィ・ストロースが 早くから『悲しき熱帯』その他の著書で警告してきたように、熱帯の森は急速に 切り倒されて姿を失い、そこに生きる無数の人々の暮らしは極度に疲弊していっ たのである。ただ、文明生活を謳歌する一部の人々の暮らしを守るために。特に、 三大熱帯雨林地帯、アフリカ・東南アジア・南米の森林からは、この三〇年間、 毎年、日本の半分くらいの森が消失し、森の民は森林難民となってゆき、同時に、 豊かであった森林文化が失われていった。その結果、地球温暖化や地球規模の災 害をもたらしていった。なにもこれは熱帯だけのことではなく、日本でも同じで ある。山林生活者は山を追われ、都市難民となっていった。日本の山林も歩いて きたわたしには、痛切に実感する山村文化の崩壊である。それでも日本は、江戸 期以来、育林思想が培われていたから、熱帯林ほどの悲劇性はないといえるが。 アマゾン上流の集落で持った疑問 この間、わたしが取材する目も変わっていった。森林を失っては豊かな人間の 営みが滅びるという危機感に襲われていったのである。いわば゛ジャングルブッ ク″から゛森林保護″への目の変化といえるだろう。それにつれて自然に取材対 象が、森林保護を目指すボランティア活動に向けられていった。ボランティア活 動家が行う森林保護といっても、その方法は多岐にわたる。ストレートな植林で あったり、森林生活の改善や森林育成知識の普及であったり、物資の救援など、 実に幅が広い。世界各国のボランティアたちが、大小さまざまな規模で保護にの りだしていった。わたしはその活動ぶりを主として日本人に絞って取材していき、 日本の人々に伝えていった。映像を通して森林の重要性を訴えることに懸命であ り、アフリカ・チャドでの砂漠緑化、ベトナムでのマングローブ植林活動、タイ やマレーシアでの森林調査活動など、優れた先人たちが長年携わってきた例を見 るにつけ、その労苦に頭の下がる思いがしていた。映像でそれが伝えられること に、わたしは喜びと誇りさえ覚えていた。 ところが、ブラジル・アマゾン上流の最深部、ボリビア国境に近いゴム採取人 の集落を訪れた時、余りにも過酷な彼らの生き様に接し、すっかり忘れていたあ ることに気付いた。「映像で森林保護や森林生活者の苦境を訴えるのもいいんだ けど、実際に森に生きる人々にどのくらい役にたっているのだろうか。もしかし たら、映像によって彼らを収奪し日本に持ち帰っているだけではないだろうか」 という疑問である。以来、その疑問を消し去ることはできない。 歴史的にみるとゴム採取はアマゾンの原住民が担ってきたのではなく、ブラジ ル最貧困層の都市生活者が奥地深く送り込まれて、生活を築いてきた結果である。 ある時は原住民と鋭く対立し、殺戮さえも繰り返してきた歴史をもつ。そして、 一八世紀半ばに入植以来二五〇年、彼らは森の住人となっていった。古来アマゾ ンでは、現在マレーシアなど主に東南アジアで行われている開墾による栽培農園 方式のゴム採取は行われず、原木を守ってそれを増やしていく自然農法を取って きた。したがって彼らは、原木を守るために生態系を維持し、森を守ってきた。 ゛森に生きる人々だけが、森を守ることができる″という、きわめて自明であり、 もっとも根元的な命題が浮かんでくる。同じアマゾンで、カヤポ族という森とと もに暮らしている民族に出会った。彼らは、はるか昔から森の木に手を入れ森を つくり、狩猟や薬物、果実など必要な収穫物を得るよう工夫して生活していた。 その方法はじつに巧みで、決して全体の森を壊さないよう運営されていた。ここ にも、森に生きる人々が森林を守っている例を見ることができる。その彼らの森 が、都市開発や牧場化、木材乱伐、無計画な農地化によって、恐ろしい勢いで消 えてゆき、森の人は追われていった。 フィリピンでの森林ボランティア活動に飛び込む この流れを止めるため、映像以外により踏み込んだ形で、わたしにできること はないか。そう模索している時、フィリピンでの森林ボランティア活動に誘われ た。それも、事務局の仕事である。団体は「観照ボランティア協会」という座禅 を修養する有志の市民集団だった。活動内容は、フィリピンの主要産業であるコ プラ(ヤシ油)採取の際に、大量に発生して破棄されるヤシ殻を使って、炭を生 産するというものであった。そのことによって、省資源化と木々の乱伐が防げ、 炭販売の収入が地域農家の台所を潤すというコンセプトである。その上、椰子殻 炭を散布することで土壌改良を行い、植林に役立てることができる。わたしにと って、これは、とても魅力的に映った。座禅修養には特別心を惹かれるわけでは なかったが、熱帯林保護という観点から、この仕事に飛び込んでいった。 フィリピンの森林率は、つい三〇年前までは日本と同様、七〇%を越えていた が、現在では三四%にまで減少している。減少はいろいろな要因によるが、最も 大きなものは、パルプ材としてアメリカに輸出するため、日本が大量に大径木を 伐採したことにある。高度成長期の日本はフィリピンの森を丸裸にしていったの である。事実、マニラ周辺および、ルソン島いたるところの山並みは、見事なま での裸山で、うち続く草原の観を呈している。このようなことをした日本人とし ての贖罪の念が、わたしの心のうちにあることも事実である。 私たちの仕事は、まず、炭をつくる窯の建設から始まった。窯の建設技術をフ ィリピンの林業技術者の青年たちに移転するのである。縁あって、マニラから東 へ山越えして、およそ二〇〇キロの海岸にあるインファンタという寒村がフィー ルドとなった。そこで活動するNGO組織「インファンタ開発協議会(ICDA I)がわたしたちを受け入れてくれて、活動は動いていった。そして、現在まで 二年の間に、四基の炭窯を建設することができた。こういうと、楽々と事を行っ たといった印象を持つかも知れないが、実際はそうでもない。まず、組織を強く するためにNPO法人にしたり、資金をつくるため各種補助金の申請をしたり、 組織内で炭の勉強をしたり、なによりもフィリピンという国を知る学習を重ねた りで、てんてこ舞いの日々が続いた。それは、現在でも続いている。 フィリピンは七千有余の島々から成る海洋多民族国家で、島々の民族の独立意 識が強く、国家として纏まりにくい面をもっている。それが、他の東南アジア諸 国とは異なった独特の国家像をつくってきた。フィリピンの歴史は、マゼランの 到着以来、スペイン、米国、日本と、常に列強に支配されてきた苦渋の積み重ね であった。そこには、数多くの独立闘争に敗北していった歴史が秘められており、 わたしたち日本人が知ることの難しい、悲哀といった感情がいまなお国民の間に 支配的だと、わたしは思う。しかし、永く続いたスペイン統治の影響からか、ラ テン民族特有の陽気な血が流れており、明るさと物事にこだわらないアッケラカ ンとした性情で困難を乗り切っていく強さをもっている。その場、その場を与え られた条件のもとで解決してゆき、少々のことはケ・セラセラでやっていく。森 林保護のような息の永い、ある意味では、理屈の伴う仕事にこの性情は向いてい るかと問われれば、首を傾げざるを得ないところもあるが、逆に、どうせ結果は ずっと先、のんびりやろうよ、というところでは大いに助かってもいる。 インファンタの森は荒れてはいるが、水や気候、環境汚染といったところでは まだ健全で、ときにはホタルの乱舞も見られる豊かさを残している。わたしたち はこの自然を保ち、次へ伝えていきたいと願って、活動を続けている。今年から 炭窯の建設に加えて、植林事業も始めた。苗の調達、植林地の手入れ、人手の確 保、植林の仕方、どれひとつとっても未知のことだらけで、悪戦苦闘しているの が現状である。なによりも、実行していくための資金づくりが最も頭が痛い。昨 今の大不況も無関係でなく、ボランティアどころではないという風潮が支配的で 計画は停滞しがちであるが、焦らず、やれるところから一歩ずつと思っている。 やがて、いつの日か、わたしが少年時代に夢見ていたジャングルブックの密林が 世界に甦ることを願って。 |
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