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□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ メルマガ国際平和 No.38 2003年09月10日 http://www.jaip.org □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■□□□□ 賀川豊彦の最期の欧州旅行からの便り 伴 武澄 賀川豊彦は戦前戦後を通じて、最も長い旅の時間をアメリカとヨーロッパ大陸 で過ごした日本人知識人ではないかと思う。いったん日本を離れると1年とか1 年半は帰らなかった。現在、われわれが知る大都市だけでなく、求めに応じてど んな小さな町でも訪ねた。 アメリカからヨーロッパにかけた旅は3回にわたった。1回目は『雲水遍路』 として、2回目は『世界を私の家として』と題して戦前に出版された。戦後の旅 は一冊の本にはまとまっていないが、国際平和協会の機関誌『国際平和』に旅先 から寄稿された。 その中から「西ドイツだより」「ベルリンだより」「デンマーク」だよりを今 回のメルマガに掲載します。特にデンマークは「戦争を放棄した国家」として賀 川の脳裏に深く刻まれた国。キリスト教信仰と協同組合によって国を立て直した 経緯については何度も何度も語っている。 西ドイツだより(『国際平和』1950年7月号から) 清潔な貧民窟 1950年4月4日、イギリスから飛行機で欧州大陸に飛び、それから自動車 で西ドイツに着きました。戦後、最初の日本人として。 まず、アーヘンから首都ボン市に走り、大統領ホイス氏を訪問。約45分間、 土地問題や政治問題について語りました。彼は白髪童顔な経済学者で基督教社会 主義者です。(会見記は毎日新聞社に通信したから読んで下さったと思います) ボンを去ってライン河畔のケルンを訪れ、そこの貧民窟を視察しましたが、その 清潔なのに一驚を喫しました。またバンカと呼ぶ戦時の防空住宅に数十家族が住 んで過群生活を営んでいるのには、別の意味で驚かされました。 完備した炭坑の施設 驚いたといえば、ルール工業地帯に這入って、その中心地エッセンの炭坑を視 察して、その施設の完備しているのにも驚きました、なぜといって、そこにおけ る炭鉱夫の生活は、日本の総理大臣も遠く及ばぬものがあったからです。各個人 が贅沢だというのではありません。施設が完備し、整頓しているというのです。 日本の古い炭坑の棟割長屋や、監獄屋と呼ばれた飯場などは、一にも早く改善さ れなければなりません。 軍国ドイツの心臓クルップ工場は、無残にも爆破させられていましたが、ライ ン河畔の風光は美しく、殺し合いや破壊を事とする人間を嘲笑しているかのよう でした。工場地帯や、ラインの守りに就いた軍事要地は、破壊から免れていて、 戦争があったのかいな、といった風情を見せています。 受難週間の伝道 わたしがドイツに這入った時は、ちょうど、受難週間でしたので、わたしの集 会はどこでも厳粛に持たれました。しかし、昔は、週間中の金曜日の朝を聖金曜 日といって、その朝は十字架を記念する瞑想の時が持たれる慣わしでしたが、今 日ではフットボールを蹴って、リクリエーションの時と置き換える青年が多いと いって、わたしを案内してくれたライトナー博士も悲しんでおられました。日本 のYMCAがダンスをやらせるといって問題となっているのと思い合わせて、一 種の感慨を禁じえませんでした。しかし、ウェストファリア州の中心都市デュッ セルドルフ市のルーテル協会で、聖金曜日の礼拝に臨んだ時、さすがに大入り満 員で、会場は三階まであふれ、3000と註せられ、入場しきれないで帰った者 も多かったと聞かされ、ドイツの信仰未だ衰えず、と感じたことでした。 基督者の奉仕事業 このように、西ドイツ伝道は非常な熱意をもって進められていますが、わたし を喜ばせたのは、これらの伝道運動と併行したキリスト教徒の奉仕事業が、極め て活発に推進されていることでした。この熱意をもって進めば、ドイツの復興は、 期して待つべしという感を抱かしめられました。ケルンに使いビードフェルドの 公害、ペテルの奉仕事業など、社会奉仕とキリスト運動が、全く一つになってい ました。 スタットガルトなどでは、ルーテル派の人々によって五つの大きな平信徒の兄 弟愛運動が展開されていますが、これ等は教派を作らず、教会内に踏みとどまっ て、平信徒伝道を中心にして伝道を助けているのでした。 婦人の奉仕者2万人 その夜、わたしはルーテル派の「母の家」に一泊したが、この母の家の奉仕者 は、みな看護婦や産婆の国家試験をパスして一個の技能者となってから社会奉仕 に出るという健実なやり方も、ドイツらしいと思いました。 全ドイツのメソジスト約5万人、その中に約2000人の女奉仕者が居るとい うことで、これらの奉仕者によって幾つもの大きな病院が経営されているのは、 羨ましいかぎりです。 ベルリンより(『国際平和』1950年8月号から) 南ドイツの旅を終わって、私はベルリンに向かうことにした。ベルリンはソ 連占領地区内にあるので、そこに行くためには、ソ連地区を通らねばならない のであるが、彼らは、どうしても、わたしたちの自動車の通過を許してくれな い。何というせせこましいことであろう。私は空を自由に飛びまわる鳥を羨ん だ。 やむを得ない。わたしはニュレンベルグで一夜を過ごし、翌4月12日午前 4時起床、自動車で市内を見学したのち、一路フランクフルトに戻った。地上 をベルリンに向かって進めないため、遠回りをして、フランクフルトから空路、 ベルリンにはいろうというのだ。 飛行機は70人乗りの立派なもので、間もなくベルリンのテンプル飛行場に 着陸。格納庫の大きいこと、B29なら、優に1000台は、そのままはいる だろう。ベルリンと英米仏とをつなぐ空のステーションとあって見ればこれく らいの施設も必要なのかも知れない。 わたしは国教会ルーテル派の病院に付属した「母の家」の客となることとな り、すぐ自動車で、ベルリン見学に出かけた。市中が想像以上に破壊されてい るのを見て、悲しくさえなった。ベルリンを始めドイツ各地は、今後25年ぐ らいは経過しても昔に復活することは六ケしいのではないか。まことに、祈ら ざるを得ない。 ソ連地区の講演には、巨(おお)きな大な軍人の銅像が建っている。戦没者 を弔っているのだというが、ちょっと奇異な感がする。 午後3時からロシア地区内の「家の教会」で、監督クラマヘル博士主題の歓 迎会に出席したが、ソ連地区から約30名の代表が集まって、いろいろと情勢 を語ってくれた、ソ連の占領治下ではあるが、宗教活動は自由で、会衆の多い ばかりか、戦前よりは、みんな真剣だという。米軍占領下の日本の教会と思い 比べて、感なきを得ない。 小学校内で宗教と教育は分離させられたので、正科としてキリスト教を教え ることはできない。しかし、ベルリンの平信徒義勇隊約4万人は、年200万 マルクを費やし、小学校校舎を借りて、キリスト教教育をしているとのことで ある。 ではソ連占領地区内の人々は、みんな共産主義に左担しているのかと聞くと、 事実は反対で、全ベルリンを通じ、最も反共産主義者の多いのはソ連占領地区 内で、1000人中955人までは反共で、英、米、仏地区は1000人中、 870人であるという。これも内地で想像していたところと全く違っていた。 ケルンでホイス西ドイツ大統領と会った時、「ドイツにおいては、漸次共産 党の勢力が失われつつある」と、大統領が語っていたのは、必ずしも西ドイツ に限られた事実ではないことを確かめ得てうれしかった。賢明なドイツ民衆は、 唯物的共産主義では、世界は救われないことを知っているのである。 ベルリンの教会活動は、英米地区もソ連地区も想像以上に自由であり盛大だ った。12日夜、アメリカ地区内のベルリン最大のスードステルンの教会で持 った集会の如き、約3000人がすし詰めになって身動きもできない盛況で、 別に修築中の会堂を第二会場としたが、ここの1000余の聴衆で満員。みん な立ったままわたしの話を聞いてくれた。話が終わって降壇すると或る老人は、 いきなり、わたしの?に接吻し、また或る学者もわたしの手に接吻した。わたし にとっても全く忘れられない感激のベルリンの一夜であった。 デンマークより(『国際平和』1950年10月号より) 6月14日、空路デンマークに来ました。25年ぶりのデンマークに! 欧州の大国が、血みどろになって、ブッこわしあいをしていた間も、この平 和の国は戦塵をよそに、愛の社会組織に努めていただけあった、ここばかりは 廃虚のあと一つあるわけではなく、25年前と同じでいてくれることが、まず わたしを限りなく喜ばせました、いいや、樹木のみどりは、25年前よりの一 しおの濃度を加えたようにさえ見えました。これはドグラスによって提唱され た植林運動が、着々実を結んで、砂丘も緑の野と化しつつあるのでした。 日本にグルンドイッヒやウイリアム・ベッグの運動が起こるように、わたし は祈りました。 グルンドイッヒの運動は、土から生えた運動でした。そして精神的に農村を 改造して行ったのでした。多くの農民学校が彼の名を記念して建っています。 彼はわが国の新井白石と二宮尊徳を一しょにしたような偉人です。 ベッグの宗教改革運動と社会事業もわすれてはなりません。彼はデンマーク のブース大将というべき人です。彼は農民、労働者のため学校を作り、海員ホ ームを作り、津々浦々に至るまでミッション・ホテルを作って全国的に宗教網 を張り、人民の純潔のため戦いました。 こうした精神的な愛国者によって指導されて来たデンマークは、人口わずか 400万しかない小国ではありますが、乳と蜜の流れる楽土の思いがあります。 わたしは飛行機でコペンハーゲンに降りてヘブロンと呼ばれるミッション・ホ テルに憩う間も惜しく、社会施設の視察に出かけました。1866年牧師ソネ がジュトランド(ユトランド)の労働階級を救うために創始した協同組合運動 は今日では、農民の9割5分、都会人の4割5分をその傘下に収め、年に約3 億8500万クローネ(邦貨にして約200億円)の売り上げがあると聞いて、 わがことのように喜びました。 わたしはコペンハーゲンの大聖堂で説教をしました。宗教的彫刻家トルウォ ルドセンの「われに来れ」のキリスト像が聖壇に飾られ、十二使徒の壁画が周 囲を取り囲んだ下で――。2階まできっしりと詰まった千数百に会衆は、熱心 にわたしの言葉に耳を傾けてくれました。またフィン島のハァニンの聖堂でも 話しましたが、ここでも、聴衆は聖壇の階段や講壇の廊下にまで、あふれてい ました。 デンマークは全く信仰の国という思いがいたします。貧乏しても、愛があり、 信仰をもった国は愉快です。愛の阻止区が必要です、つまり一致です、協力で す。理想です。努力です。 三十年戦争(1618−48)でデンマークは一時衰えましたが、ドイツの 敬虔派の感化が及ぶようになってデンマークの宗教運動は活発となり、さらに 1864年の敗戦を契機として、グルンドイッヒの農民運動となり、キリスト 教各派がこれに協力して今日のデンマークを再建することに成功したのでした。 わたくしは敗戦国デンマークにおけるキリスト教の今日までの歩みを回想し、 神の恩寵を感謝せずには居れないのでした。 わたくしはこの国の客たることわずか3日で、空に飛び立ってまたイギリス へ帰ります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 財団法人国際平和協会 編集責任:伴 武澄 mailto:kyokai@jaip.org バックナンバー http://www.pubzine.com/detail.asp?id=20632 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 配信システム: Pubzine( http://www.pubzine.com/ ) 購読解除: http://www.pubzine.com/detail.asp?id=20632 問い合わせ: fwgc0017@mb.infoweb.ne.jp |
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