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□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ メルマガ国際平和 No.8 2003年01月12日 http://www.jaip.org □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■□□□□ 大原孫三郎とフィランソロピー−列車の中での一期一会 伴 武澄(共同通信記者) 1992年11月、クラレの臼倉嘉男さん(当時)と北陸から東京へ向かう列 車で同席、企業のフィランソロピーについて話し込んだ。古い話だが、取材ノー トに赤丸が付いている。当時は株価や地価の下落は始まっていたが、多くの企業 はまだまだ余裕があり、経団連などでも社会貢献委員会が設立されるなど「企業 フィランソロピー論」が華やかだった。何かの企画記事で便えると思っていたが、 日本経済は1ドル=100円を超える円高で尻に火がつき、やがて金融不安で屋 台骨が揺らぎ始めた。結局、この話は出番を失った。 クラレは他の企業のやらないことを愚直にまでやってきてようやくここまで来 た企業だ。1980年代に抗ガン剤を世に出して株価が4桁になった。フローの 実力でなかったのは、その後の株価が示している。もはや競争力を失ったとされ る繊維業界のなかで、つい最近まで経常利益が営業利益を上回っていた。さすが に東証株価平均が1万円を下回って経営指標は以前ほどではないものの、東レや 旭化成を凌ぐ優良企業である。 臼倉さんは行田市の足袋屋のせがれだった。京都大学を出て、本当は家業を継 ぐつもりだったが、クラレに入社して総務本部長まで出世し、ついぞ行田に帰る チャンスを逃した。クラレという会社が性に合っていたのだろう。 列車での会話は創業者の大原一族の偉業に及んだ。 「倉敷に大原美術館を建てただけではない。大原孫三郎は病院も建設した」。い までは公立の倉敷中央病院になっているらしい。この病院は規模として当時、東 洋一だった。孫三郎は私財も多く投じた。「女工さんたちが病気になったときの 面倒も見る必要がある。患者もたまには音楽でも聞くぐらいの余裕が必要だ」と 考えた。病院の真ん中に「音楽ホール」を作ることを命じた。これは究極のフィ ランソロピーだ。いまでこそ企業が病院を持つことは珍しくない。大正時代のこ とである。 病院経営のきっかけは明治末期に岡山で孤児院を経営していた宮崎出身の石井 十次との出会いだった。熱心なキリスト教徒だった石井は医学の道を目指して岡 山医学校を卒業したが、道すがら預かった子供を引き受けたのがきっかけで医学 の道を断念、孤児のために一生を捧げることになる。 孫三郎は石井の生き様に心服して自身の歩むべき道を定めたという。岡山孤児 院は最盛期には1200人の孤児を抱えた。孫三郎の「無条件、無制限の援助」 があったとされる。いま大阪市にある愛染橋病院は石井の業績を引き継いでいる。 法政大の大原社会問題研究所、日本学術振興会の労働科学研究所、白桃やマス カットを生んだ大原農業研究所、柳宗悦ら民芸運動家の夢を実現した日本民芸館。 「皆、孫三郎が世に送り出したんですよ。あまり知られていないけれど」。 そんな話を聞きながら東京駅についた。石井十次を紹介したテレビ番組を見た 直後だっただけに、臼倉さんとの出会いもひとつの一期一会だと思った。 クラレという会社はナンバーワンを目指しているわけではない。そういえば 「人のやらないことをやってきた会社」(中村尚夫元会長)だけに社員もあまり 人間がすれていない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1月19日号予告 賀川豊彦 少年平和読本「四方の海みな同胞」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 財団法人国際平和協会 編集責任:伴 武澄 mailto:kyokai@jaip.org バックナンバー http://www.pubzine.com/detail.asp?id=20632 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 配信システム: Pubzine( http://www.pubzine.com/ ) 購読解除: http://www.pubzine.com/detail.asp?id=20632 問い合わせ: fwgc0017@mb.infoweb.ne.jp |
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