国際平和 Quest for International Peace  Spring 2003


目 次

巻頭言

ギニアで山師
となった私
齊藤清

北朝鮮の瀬戸際
外交に封じ手を
斎藤志郎

父親を偲ぶパラオ
鎮魂の旅
伴武澄

グローバル時代に
おける子供の教育
田中豊

日本人移民子弟
への日本語教育
潮厚宏

日本語教育と
ボランティア
藤田千尋

企業の社会貢献
第2回
伴武澄

航空技術の草分け
田中館愛橘
若松立行

賀川豊彦の世界2

編集後記


 グローバル時代における子供の教育−米国の事例

         前米ナショナルスチールCEO会長 田中豊

 日本再生に必要な教育の見直し

 わが国政府はいま「ゆとり教育」の実施に向けて努力中である。しかし、その教育理念に対する国民の理解が十分でない上、学力低下への懸念も加わり、いまだに新制度に対する賛否両論が絶えない。そこには純粋な教育論とは別に、週五日制への移行により超過労働に苦しむ先生方の負担を軽減する狙いとか、受験戦争への不安を抱いている親たちの心配などが、複雑な要因として見え隠れしている。また学区を全廃して「名門」復活を狙った東京の都立高校の動きや、名古屋財界による名門私立校設立の発表は、統一的国家管理による教育現場に対する社会の不満を表すものでもあろう。少なくとも荒廃した教育の現場は、グローバル時代の社会のニーズに適合し切れていないことの証左であると思われる。

 私は元来、教育のことにはまったくの素人であり、日本の実情も知り得ていない。しかし、米国でのビジネス体験を通して、私は日本経済の不振は、日本社会の文化的特異性、なかんずく画一主義、集団主義、没個性、そして閉鎖性といったものに起因する"グローバル化への立ち遅れ"が原因ではないかと、疑念を抱いている(「異文化に学ぶ−アメリカで会社を経営して」『国際平和』Autumn2002参照)。日本とは対象的に、米国社会は移民国家で、極めて自由かつ開放的社会である。そこは個性、独創性、自主性といった人間性が尊重される文化であり、まさにグローバル社会の縮図である。そこで私は、当然日本とは対極にある教育があってしかるべきであると考え、米国で子弟の教育を体験した友人たちから米国の事情を取材してみた。

 米国の教育現場

 以下は、ウィスコンシン州マジソン、インデアナ州ミシャワカの公立小中学校のケースを紹介するもので、米国一般の状況を伝えるものではないことをご了承いただきたい。
  1. 個人のニーズ重視 アメリカでは、教育の基準がない。生徒個人のニーズに合わせて、天才には天才の教育を、劣る子にはそれなりのレベルの教育をする。したがって飛び級もあるが、留年も普通で、むしろ親の方から、留年させて欲しいと希望がでる。日本のように同じペースで進ませない。例えば、同じ4年生でも算数が良くできると、算数のみ5年のクラスにはいり、できない子は廊下に机を出して、親が教える。日本では、親は授業参観日しか学校に行かないが、米国では日々のサポート役を募集して、親が教師のアシスタントとして参加している。クラス編成は15〜20人。本を読む時でも、早く読めるグループ、そうでないグループなどに4、5人ずつグループ分けして指導する(昔は基準があったらしいが、今は生徒のニーズを重視)。また、キンダークラスといって、5歳から入学のための予備クラスがある。さらに3年生が1年生のクラスに入って、お兄ちゃんとして、下の子を教えたり面倒見たりの教育もある。
  2. 自己表現の重視  Show and Tellの訓練を繰り返し行う。例えば、自分の最も大切なものを三つ持ってきて、それについて自分の意見、由来などを説明する。表現力の訓練である。個性を伸ばす、型にはめない注意をしながら、他人の異なる意見、行動を理解するための教育をする。こうした授業は日本ではめったにない。あっても作文に書かせる程度で、口頭での表現訓練の機会は非常に少ない。したがって、お母さんたちの意識も違う。先生から質問があれば、どんどん意見を述べ、意見を戦わす。はっきり言い合うのだが、巧みにジョークを入れて、上手くかわしながらやる。日本人の多くは、人前では押し黙っていて、後でこっそり意見を言うか、陰口を言うことになる。
  3. 時事問題の重視 その時々のトピックスを集中的に教育に取り入れる。例えば、「Time for kids」というプリント誌を読みながら、政治、スポーツ、社会などをなんでも話題にする。大統領選挙が近づくと、連日これがテーマとなり、選挙制度や歴代の大統領の名前などを徹底的に覚えさせ、生徒に自分なりの考えを作らせる。有名な野球選手などもテーマとし、経歴から年収まで話題になるという。したがって、親と共通の話題を家庭内で持ち得るし、子供の方が半歩も一歩も先に行っていることもある。日本のように、ひたすらカリキュラムだけを追いかけることはない。
  4. スポーツ重視 親も教師も子供の体力、気力つくりに熱心だ。日本では、一つのスポーツを長く続けることを重視するが、米国では水泳、サッカー、野球と1〜3カ月単位であれこれに手を出す。スポーツ・クラブなどの参加も短期的プログラムを前提にしている。そして、中学、高校と進むにつれて、子供の興味、能力に応じて次第に種目を絞っていって、集中できるものを決めていく。それに、子供たちは両親とスポーツクラブなどで一緒に遊ぶ機会が多いし、子供たちが試合に興じている週末のグラウンドはどこも家族の応援で観客席は満員である。
  5. 厳しいしつけ 公共の場では、大人と子供の区別がない。子供も大人と同じように振舞わされる。挨拶、公徳心、レストランの注文など、如何なる場においても、子供としての甘やかしはない。学校の中でも、遊ぶときは元気で騒がしいが、廊下を歩いている時などは極めて静か。生徒同士の暴力があると、校長室で説教があり、停学処分になる。軽い場合でも、スクールバスに乗せないなどの制裁がある。規律の問題は、地域社会の目標として掲げられている。
  6. 自由な学校給食 ビュッフェスタイルなので、生徒が好きなものを、好きなだけ食べる。弁当持参も許される。日本のように同じ物を一緒に食べるということはない。したがって、日本からやって来た子供は、日本と比較して学校が実に楽しいと言っているが、親のほうは偏食になりがちなので、これだけはいただけないとのことだ。
    校長先生と一般教師の関係 和気あいあいやっている感じで、特に変わったことは感じられない。小学校は一般に女性の先生が多く、中学は男性が増えている。先生は学年ごとに専門職になっていて、プライドがあるので、めったに担任の学年が代わることがない。
  7. その他 働く親のため、夕方まで、先生が交代で生徒の面倒を見る。算数の答えが違っても、解き方が正しければよいと評価する。
 私のMITでの留学体験として、米国人のエリートは人前でのプレゼンテーションが極めて巧みで、豊かな発想と話術に長けているのにほとほと感心させられた、ということがある。移民社会のニーズによって作られたこうした教育の成果だろうかとつくづく思う。

 教育に必要なグローバル社会のニーズ

 昨年10月、岩手県の小中学校校長会の年次大会に招かれ、数百人の現役の校長先生方を前に、掲題のテーマで私見を述べる機会があり、予想外の反響を得た。講演後の懇親会や校長先生方のアンケートに示された感想内容から、特に私の目を引いたのは、次の二点である。(1)グローバル社会という広い視野で、教育を考えるいい機会を与えられた。(2)これまで米国の教育現場についての知識をほとんど持っていなかったので、大変参考になった。つまり、ものの考え方が内向きで、他国の文化や事情にうといのは、日本人ビジネスマンと政治家だけかと思っていたが、教育界も例外ではないようなのである。

今日本に求められものは、異文化を排斥するか同化を強要する閉鎖社会からの脱皮と、異文化との対話能力(コミュニケーション・コンピタンシー)ではなかろうか。次の世代の人材をどのように育てるべきかの多少のヒントになればと思い、私はあえて不慣れな分野をテーマに筆を執った次第である。(たなか・ゆたか)

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財団法人国際平和協会
Japan Association for International Peace