国際平和 Quest for International Peace  Autumn 2002


目 次

復刊の辞
新たな展開をみせる
北東アジア
斎藤志郎
アメリカで鉄鋼会社
を経営して
田中 豊
民間大使として
赴任したガーナ
浅井和子
タゴールと岡倉天心
から100年
P.B.シャーカー
スコットランドに
学ぶ地域活性化
山本直美
宇宙旅行の
カウントダウン
若松立行
「賀川豊彦の遺産」
「フィランソロピー考」
−大原孫三郎
伴 武澄
編集後記

  21世紀宇宙への旅

           若松立行(スペーストピア社長)

 われわれが宇宙に興味を持ち、想像した時に手足の感覚がなくなるような、それでいて鳥肌が立つような、なんともいえない気分になったことを覚えているだろうか。

 未知との遣遇‐‐これほど人類のロマンと冒険を掻き立ててくれたものはない。 宇宙は国境がなく、世界がひとつになれる唯一の場所かもしれない。

 宇宙での平和、宇宙の非軍事化を願いつつ、21世紀の新しい産業となるだろうと期待されている宇宙輸送事業、字宙旅行について話をしていきたい。

 宇宙旅行商業化の夜明け

 1919年、ニューヨークのホテルを所有する大金持ちのレーモンド・オルテーグ氏が初めて無着陸飛行で大西洋を横断した者に2万5000ドルの賞金を提供すると発表した。

 ライト兄弟が動力付きで初飛行に成功してから、わずか16年しか経っていないのに、すでに航空機の発達は目覚しく、人々の空への関心は日々高まっていた。賞金目当てで挑戦し命を落とした者もある中で、チャールズ・リンドバーグが27年に見事に米国東海岸からパリまで不眠不体で単独飛行して賞金を獲得したのは承知のことである。

 こんなお祭り騒ぎの懐かしいよき時代を経て今日、世界中で毎年15億人の人々が航空機をごく日常の交通手段として国内・国際間を移動している。オルテーグ賞が民間航空輸送の発展に貢献したのである。

 民間宇宙輪送においても「Xプライズ」という賞金が創られ、宇宙旅行のオルテーグ賞になるに違いないといわれている。賞金額が1000万ドル(12億5000万円)だが、宇宙輸送機で一人以上の旅客を乗せて高度100キロ以上の宇宙へ2週問以内に2回往復しなければならない。何度も使える宇宙船の製造を促しているだけでなく、民間資金による開発・運航が条件となっている。

 現在、世界の宇宙ベンチャー企業12社が挑戦しているが、残念ながら日本ではまだ名乗りをあげるベンチャーはいない。日本の宇宙産業はすべて国家におんぶされてきたために、活力ある宇宙ベンチャーが育っていない。国家に寄生している産業こそが問題なのだ。

 Xプライズ財団日本支部はわがスペーストピアが代行しているが、日本の宇宙ベンチャー企業を発掘し、育てるのもわれわれの責務と考えている。

 X賞の創設を契機に世界からいろいろな宇宙船が生まれ、宇宙旅行が実現する第一歩が始まることが期待されている。

 宇宙活動の歴史

 人工の物体が初めて地球の衛星となったのは、1957年10月4日に打ち上げられた旧ソ連のスプートニク1号だった。その後もソ連は犬7匹を衛星軌道に乗せるのに成功し、61年4月12日にはユーリ・ガガーリン少佐が搭乗した初の地球周回有人宇宙船ボストーク1号が打ち上げられた。

 米国はこれに遅れること3週間、61年5月5日、マーキュリー計画のフリーダム7で、アラン・シェパードを弾道飛行で打ち上げた。シェパードというのは犬の種類ではなく、人の名前だ。「本当は犬が打ち上げられる予定だったのが、残酷だと言うので、俺が替わりに行くことになった」とはシェパード氏の冗句。米国初の有人地球周回は62年2月20日ジョン・グレンを乗せたフレンドシップ7だった。

 その後、ソ連は63年に初の女性宇宙飛行士テレシコワさんを宇宙へ送り出し、65年にレオーノフが初の宇宙遊泳を行った。

 一方、米国では68年、ジェミニ計面の後アポロ計画が始まり、69年アームストロングが月面着陸に成功した。70年代には米ソとも字宙ステーションの打ち上げに成功、75年には米国のアポロとソ連のソユーズが軌道上でドッキングした。

 90年、秋山豊寛氏がソ連のソユーズTM−Uに乗りこみ日本人として初めて宇宙に到達した。

 米国が81年から打ち上げを開始した米スペースシャトルには毛利衛氏、向井千秋氏、若田光一氏、土井隆雄氏の4人が搭乗している。

 宇宙開発では、すでに2006年を目指して、日本、米国、ロシア、ヨーロッパ、カナダの協力による国際宇宙ステーション計画が進行する一方、民間人としては2001年以降、米実業家のチトー氏と南アフリカ人の実業家シャトルワース氏が宇宙を体験するなど、宇宙旅行が米国とロシアの政府だけのものではなくなっている。

 二人はロシア宇宙庁・エネルギア社に25億円を支払って国際宇宙ステーションに7日間滞在し、宇宙観光を楽しんだ。いわば最初の宇宙旅行の観光旅行者である。

 私の会社である潟Xペーストピアはロシア宇宙庁・エネルギア社から東南アジアの販売権を得て総代理店となったものの、日本人の申し込みはない。日本の税制の問題で本当のお金持ちはいないのかもしれない。

 不可欠な民問活力による宇宙旅行産業の育成

 宇宙飛行の原動力であるロケットの歴史は、火薬が兵器として便われた14世紀ころから始まった。

 20世紀になって第二次世界大戦の末期にドイツのV2ロケット爆弾が自力で飛翔してロンドンを爆撃したことは戦争史の一頁をかざる出来事であり、また人類の宇宙進出に大きな希望を与えるものであった。このV2ロケットの技術が戦後、米ソなどに伝わり発展してきたのだ。

 この発展の背景には、長期間にわたって持続した米ソ間の冷戦状態があったということができよう。

 世界の二大強国は国の存亡をかけ、兵器開発競争にしのぎを削った。巨額の兵器開発予算が投じられたことが結果的に宇宙開発技術の発展に貢献してきた。

 しかしながら、1986年には米国のスペースシャトル,チャレンジャー号の事故があり、91年のソ連崩壊後、軍事目的の宇宙開発は転機を迎えた。つまり宇宙開発のコストが納税者を納得させるものではなくなってきたわけだ。

 そこで国家としても、政府による宇宙開発ばかりではなく、民間による宇宙開発事業を奨励して、宇宙開発が継続されるようにしたいと考えるようになった。

 このような変化により、96年ごろから米国を始めとして宇宙ベンチャー企業が続々と名乗りをあげてきているのだ。

 飛行機と宇宙船‐‐製造技術

 輸送機関としての宇宙船の成熟度を、飛行機における動力付き有人機で飛行から民間の商業輸送が始まった歴史と比較してみよう。飛行機による商業輪送の始まりは、第一次世界大戦が終わった1919年のドイツ。ルフトハンザのユンカースJ13だった。

 だが、本格的な交通手段として認知されたのは35年ごろからで、米国でダグラスDC3が民間の航空輸送に使われ始めてからだった。1903年のライト兄弟による有人動力飛行から33年で民間商業飛行が始まったことになる。

 一方、宇宙船は前述のように1961年にガガーリン少佐が初めて地球軌道の周回に成功してからすでに41年が経過し、米国のアポロ11号による月面着陸から33年。この間ロシアのソユーズは34回、米国のスペースシヤトルは112回も宇宙へ飛行している。

 したがって、宇宙船はその技術・経験において民間輸送を始めるには十分なレベルに達しているといっても過言でない。宇宙旅行実現のために次に必要なことは法律とインフラになるわけだ。

 商業宇宙輸送の法制システム‐−宇宙法

 宇宙航路を往来する宇宙船は、安全かつ低価格で便利なフライトを利用者に必要な時にいつでも提供できなければならない。このためには、宇宙船は短い折り返し時間で反復できることが不可欠。半面、商業宇宙事業は莫大な費用を伴う、今世紀最大のリスク・ベンチャーでもある。

 したがって、この新しいビジネスがどのような形の枠組みで展開されるかということは、人々にとって大きな関心事であるはずである。この見当がつけられなければ、宇宙のベンチャー・ビジネスの事業計画書(ビジネス・プラン)を策定することができない。

 つまり、実務的な企画が出来なければいつまでたっても何事もおこらない。

 この問題の展望を開くものは、これからの商業宇宙時代を律する法体系の整備である。法律の施行とビジネスとは、ほとんど同時進行となることが想定される。

 換言すれば、新しい宇宙ベンチヤー・ビジネスの水先案内として、予測される商業宇宙法のアウトラインの提示が求められる。どのような商業宇宙活動を想定しているか、また商業宇宙事業がどのような法制の枠組みで規制されるかということが、関心を持つ民間セクターに示されれば、一定の共通した理解の下に、ある程度の確信を待って、展開すべき事業のビジネス・プランを策定することが可能になる。商業宇宙輸送のために大きな責献をすることになるであろうと思う。

 現在、航空界における「航空法」に相当する「宇宙航行法」はない。

 しかし、国際的には国連の宇宙空間平和利用委員会のまとめた前文及ぴ本文17条の宇宙条約が1966年12月に国連総会で採択されている。宇宙空間・天体の領有は禁止され、宇宙活動は国際法により世界の平和と安全に貢献するために行なわれることになっている。

 いわば宇宙活動についての基本的な枠組みを国際的に取り決めたものだ。

 宇宙空間での通信、放送、気象業務、地球資源探査などが実用化したのに伴い、68年から75年にかけて宇宙救助返還協定、宇宙損害賠償条約、宇宙物体登録条約が発効。88年には常時有人の民生宇宙基地に関する宇宙基地協定が米国、欧州、日本、カナダの政府間で締結された。宇宙旅行の運航の安全と宇宙旅行産業の育成、維持を図るきめ細かい法親の整備が急がれる。

 航空における、国際民間航空機関(ICAO)に相当する国際宇宙機関(ISF○)の創設を提唱し、宇宙旅行の安全及ぴ効率的な運航のための基準、勧告、手順を制定することを望む。

 米国では84年に宇宙輸送の商業化のための商業宇宙法が制定され、すでに連邦航空局(FAA)が商業衛星の打ち上げ免許交付の業務を行っている。98年には、同法の大幅な改正が行われ、再使用型機の事業の免許の業務を行うことが出来るようになって、その施行の具体的な規則が作成されつつある。商業用宇宙空港の運用もすでに、いくつか免詐されている。

 これらは、これから商業宇宙輸送の規制のための法制を整えようとしている国々にとっては、特に日本は大いに参考になるものと思う。

 宇宙旅行に必要なシステムの構築
         インフラストラクチヤー


 宇宙船による貨客の輸送を開始するには宇宙輸送システムの確立が必要だ。

 商業化を実践するのは宇宙輸送株式会社(日本航空、英国航空、アメリカン航空のような航空会社)が宇宙運輸、ターミナル、給油、ホテルを経営することになる。

 そして、これらの支援体制として、字宙船が離着陸できる空港、離着陸スポット、離着陸時の交通管制を行う機関、燃料給油施設、宇宙船整備施設等を運営する組織が整われなければならず、消費者に直接対応する宇宙旅行代理店も重要な役割を果たす。

 今後の課題と提言

 このように見てくると、宇宙旅行の商業北には航空業界の事業形態や運航パターンが基本的な模範となることが明らかである。80年の試行錯誤を経て、今日の安全性、採算性及ぴ世界的な普及を実現した航空業界の豊富なノウハウの蓄積は人類の貴童な財産であり、宇宙輪送の事業化の基本的なガイドラインとみなされるものと思う。

 つまり、航空のインフラ基盤で宇宙旅行の事業化を実現するということだ。
  1. 官民挙げてその国益としての重要性を認識して、国策として民間の宇宙旅行 事業を勧奨し、新しい産業として育成することが望まれる。
  2. 国際宇宙航行の権益は、他国の後塵を拝することになれば大きなハンデイを背負うことになるので、先鞭をつけ、主導権を握ることが望まれる。
  3. 宇宙旅行の事業者の二−ズに合った宇宙船を使用し、国産に固執しないこと。
  4. 当初の採算性は非常に厳しいので、税制上の恩典や借款の保証などの配慮が望まれる。
  5. 宇宙船の輪入や使用時に、その安全性に関する輸出国の認証を遅滞なく認証することが出来るようにする国内制度が確立されることが望まれる。
 以上五つの提言をして終わりにしたいと恩うが、このような考えに至ったのは、私の人生の恩師、舟津良行先生との出会いがあったからだ。

 残念ながら先生は今年の5月8日に突然、肺がんのためご逝去した。日本ロケット協会の専門部会である「宇宙旅行事業化研究フォーラム」で5年間にわたり公私ともどもご指導いただいた。

 先生は東京帝国大学の第二工学部航空原動機を昭和19年に卒業され、運輸省航空局航空機検査官当時、戦後すぐに日本の航空法の制定に尽力され、その後、若くして全日本空輸に入社、専務取締役、特別顧問を歴任した。民間航空の分野での幅広い経験から、そして温厚な人柄と卓越した見識とで私に宇宙旅行の事業楕築の魂を吹き込んでくれた。

 舟津良行先生のご冥福をお祈り申し上げます。



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財団法人国際平和協会
Japan Association for International Peace