目 次
復刊の辞
新たな展開をみせる
北東アジア
斎藤志郎
アメリカで鉄鋼会社
を経営して
田中 豊
民間大使として
赴任したガーナ
浅井和子
タゴールと岡倉天心
から100年
P.B.シャーカー
スコットランドに
学ぶ地域活性化
山本直美
宇宙旅行の
カウントダウン
若松立行
「賀川豊彦の遺産」
「フィランソロピー考」
−大原孫三郎
伴 武澄
編集後記
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20年先が見えるガーナと見えない日本
駐ガーナ国大使 浅井 和子
ガーナ国に赴任して2カ月余りが経ちました。バラック建ての店先に並ぶ埃っぽい商品や頭上に物を載せて歩く女性の姿にアフリカを感じた当初の新鮮な感慨は消え、今では、それらは日常の見慣れた風景となりました。
「アフリカの問題を解決しないで21世紀の平和はない」との思いで、ガーナのために日本は何が出来るか、また、何をすべきか、を私なりに見つけたいというのが、私の赴任時の大きな願いでした。
その為には、まずこの国の現状を知らなくてはならない、そして、この国における日本のODA(政府開発援助)の現場を隈なく見てみようと思い立ち、7月下旬、まず一番遠い最北の町にある現場からスタートすることにしました。ランドクルーザー車に乗ってひたすら北に走るものです。
初日は、途中、ある男子高等学校に寄って、日本の草の根無償資金援助により造られた衛生施設の引渡し式に臨みました。
同校は、ガーナでも1−2位を争う進学校で、引渡し式後、校長先生より案内された構内には広々としたグランドや、しゃれた寮もあり、イギリスのパブリックスクールを思わせる学校でした。コンピュータの授業もあり、今年、海外青年協力隊の隊員がコンピュータの先生として派遣されることになっているとの事でした。
学生がインターネットを通じて世界中から情報を取れるのですばらしいことだ、と校長先生に話したところ、「実は、電話がないんです」と言われてしまいました。持っている携帯電話も木の上に登らないと良く通じないとのこと。この国の技術進歩のちぐはぐさを見せつけられた思いでした。
そういえば、ちょっと町を離れれば今でも電気がない家がある一方、他方データ処理会社のコールセンターがあり、そこでは1000人ぐらいの職員が世界中と交信しているとのことです。
協力隊のいる最北の町、ナブロンゴには、途中2泊して着きました。そこまで出発地のアクラ市から15時間ぐらい車に乗っていたことになります。そのうち最後の4時間の道のりは日本の援助による道路を除けば、ひどい道路でした。道路に穴がポコポコ開いているのです。車は、それを避けながら、かつ対向車を交わしながら、猛スピードで走るのです。そう時々、羊ややぎも横切るのです。事故が起こらないわけはありません。大きなトレーラーやバスが道路沿いにひっくりかえっているのに、2−3度出会いました。緊張感あるドライブでホテルに着くとさすがに疲れがどっと出る感じでした。
途中の町や村で協力隊の方々と会い、問題点を話し合ったり、また、勤務先の高等学校、職業訓練所、医療研究所などの現場に出向き、数学の教師をしている一隊員の住居も見せていただきました。その家は、さすがに、その地方では一般的な泥と藁の家ではありませんでしたが、校長先生と同じとはいえ、粗末な倉庫のようでした。
今は雨季でガーナの北部は緑に覆われ、とても美しい土地でしたが、これが乾季になると全てが茶色の景色になり、夜半になっても40度を降りない暑さに人間も動物も死んだようになるとのこと。乾季にもう一度来ないと北部の実態はわからない、と言われてしまいました。
そのような厳しい環境の中で、各協力隊員は、それを乗り越え、地元の人々と同じように生活しながら、ガーナ人を理解しょうと努めている姿は、それが飄々としているだけに、よけい感動的でした。
また最北の町では、社会福祉専門家の若い日本女性が、現地服を着て、ガーナ女性たちに混じって彼女らを指導しながら共に働いている姿に頭の下がる思いがしました。
日本のODAの一形態である協力隊はじめ各種専門家等の人材派遣は、受入国の人々の心に触れ、友情、相互理解を深めるものであるだけに、今後もぜひ続けて行われるべき支援方法だと思いました。
協力隊の活動が"技術支援"と呼ばれる程、協力隊員に技術が備わっていないとしても、彼等自身の肉体的精神的鍛錬となり、日本が自国の青年の育成に資金を投入する事は有意義なことと思います。
今までに、世界各国に22、000人、ガーナだけでも25年間に750人の協力隊が派遣されています。世界各国に友情のネットワークが確立されていることは、日本外交にとって何よりの資産と言えます。
当地ガーナに来て、1カ月目ぐらいのある夜、ぼんやりとこの国の20年後を想像し、きっと発展した国になっているなー、と思いながら、ふと20年後の日本を想像した途端、それまで椅子に沈みこんでいた私は、思わず身を起こし姿勢を正しました。このまま続けていれば、日本は20年後には沈没する!
日本は現在700兆円の公的債務を負担し、なおも年々累積されているという。
不良債権処理や経済不況と、毎日、目先の問題を処理するのに精一杯で、誰も10年、20年後の日本を考えていない。問題を先送りするばかりで、20年後の日本を見る視点に欠けている。 要は、20年後の日本のヴィジョンを以って、今の政治が行われていない。
日本は1昨年までは、ODA額世界一。 債務が累積される日本の20年後を考えるならば、このままのODA額を維持して大丈夫だろうか?
国は国債を発行して債務を負担し、そのお金で途上国へ援助する。このままでは、20年後には日本自身が重債務国に転落し、世界の笑いものになっているかもしれない。
日本は、大判振る舞いして、大国ぶらなくていいのです。身の程を知って、分相応にするべきです。援助額は小さくても、効果的な、価値ある支援はあるはずです。
日本の進むべき道は、大国になることではなく、小さくても、どの国からも一目置かれ、世界の良識の府になることではないでしょうか。このことは、アメリカにしか向いていない日本を離れ、アフリカにいて周りにアラブやヨーロッパを身近に感じると、余計そう思います。
私はガーナに赴任し、大臣等の政府高官に会う度に、皆から大歓迎され、口々に日本に感謝している、と言われます。ガーナにとって日本は最も重要な援助国(一昨年までは一位)だからです。私は、皆から歓迎され、感謝され、とてもいい気分です。
しかし、私は、日本の20年後を思うと、素直に喜んではいられません。
さて、赴任時の「ガーナのために日本は何ができるか、何をすべきか」に関してですが、今では、そんな大それた命題とは思わず、答えは簡単です。それは、この国の経済発展に寄与することです。単にガーナの国が、今のところ、日本より経済的に遅れた段階にあるだけだ、ということが分かったからです。
この国には日本にはいないような優れた政治家もインテリもいます。アナン国連事務総長並の人物はたくさんいます。すばらしい伝統工芸品もあれば、音楽もあります。
日本には確かに立派な道路が国中張り巡らされており、新幹線も走っており、電化製品はあふれています。しかし、ただそれだけのことです。日本人が優れているわけでもなければ、ガーナ人が劣っているわけでもない。日本がエライから、ガーナを助けてやるわけでもない。がーナにはお金がないから一般国民の生活水準が低いだけです。したがって、日本はガーナの経済発展に協力するだけです。
ところが、日本は、前述の通り今までのような大判振る舞いは出来ません。
「金の切れ目は縁の切れ目」にならないように、いかに今の両国の友好関係を保つか、それが今では私の任務であると思っています。
その一つとして、出来るだけ多くのガーナ人に日本を好きになってもらおう。そこで考えついたのが、土佐の「よさこい踊り」。日本人もガーナ人も一緒になって、鳴子を両手に、踊り興じよう!
12月のジャパン・ウイークに行われる「よさこい踊り・イン・ガーナ」を成功させるべく、只今、奮闘中。 (2002年9月7日アクラにて)
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