目 次
復刊の辞
新たな展開をみせる
北東アジア
斎藤志郎
アメリカで鉄鋼会社
を経営して
田中 豊
民間大使として
赴任したガーナ
浅井和子
タゴールと岡倉天心
から100年
P.B.シャーカー
スコットランドに
学ぶ地域活性化
山本直美
宇宙旅行の
カウントダウン
若松立行
「賀川豊彦の遺産」
「フィランソロピー考」
−大原孫三郎
伴 武澄
編集後記
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異文化に学ぶ−アメリカで会社を経営して
−(グローバル化を阻む異文化の壁)
前米ナショナルスチール会長CEO 田中豊
20世紀最後の10年、"グローバル化"という歴史的な大変革が起こった。共通通貨ユーロまでこぎつけた欧州同盟の誕生と、社会主義経済崩壊によるソ連、中国などの市場経済への移行が、地球規模での市場統合をもたらした。そして情報化技術の発達がこのグローバル化の流れを一気に加速させたことは、ご承知の通りで、われわれの日常生活にも変化が起こった。例えば、
1.大リーグのイチロー、野茂、サッカーの小野、中田が海外で活躍する。
1.個人がインターネットで海外からゴルフ道具や化粧品を直輸入する。
1.外貨預企や中国株式への投資を普通のサラリーマンが行う。
1.携帯電話が人間関係を変え、風俗を変える。
そして、ビジネスの世界では、身辺の変化よりもっとダイナミックな動きがある。地球規模で、会社の統合、淘汰が着実に進みつつあるのだ。多国籍企業の多くは、経営者も、従業負も、株主も、債権者ももちろん多国籍で、本来どこの国の会社かわからなくなってきている。多くのアメリカ人にとっては、ソニーはアメリカの会社なのである。
人類が地球は丸い球、つまりグローブであることを発見してから500年あまりになるが、人間、商品、資本が地球規模で自由に移動し、世界中の市民がまったく同じ情報を同時に共有できる時代が今ようやく到来した。だが自由化が進み、国籍、国境、民族の意識がうすれると、それだけで世界が一つになれるのだろうか?いや、むしろ、一方では習慣や物の考え方の違い、つまり文化の違いからくる壁が、かえって問題を大きくしているといってよい。お互いに理解したつもりが怖い。国際政治の世界で"文明の衝突"という言葉があるが、それほど大袈裟でなくても、ビジネスの世界でもこのカルチャー・ギャップの問題に今、真剣に取り組まざるを得なくなってきている。
私自身アメリカの会社を経営してみて、米国の会社との付き合いより、日米間のこのカルチャー・ギャップに悩まされた。日本人の会社同士の合併さえ上手く進められない日本人の性格が、ひょっとすると今日のわが国の停滞を招く原因になっているのではなかろうか?つまり、スキンシップの機会が増せば増すほど、グローバル社会との不適合が鮮明になってくるように思われる。
ムラ社会日本
日本の現状に世界中が苛立っている。なぜ改革が進まず、景気が回復しないのだろうかと。日本人は大胆な発想と迅速な行動ができない。官も民もやることが、Too
little too late.である。米国社会と比較して、意思決定の方法と、リーダーシッブの違いに間題があるのではないかと私は考える。最近、知り合った中国、韓国それぞれのビジネスマンからも、「日本の会社と取引するためには、最低六回は日本を訪ねなければ、商談がまとまらない」との不満を聞いた。責任者が誰か、いつ決定されるのかが曖昧で、いつも不安がつきまとうという。
日本社会の特徴は"コンセンサス社会"だといわれている。ムラの寄合いのように、全員の合意が前提で意思決定がなされる。会社でも、役所でも、関係部著の意見を集約して、最大公約数が模索される。サラリーマンが四人で食事に行って、三人が蕎麦というと、残りの若い一人がカレーと言うのには勇気がいる社会である。
一方、米国社会は"リーダーシッブ社会"で、職場での責任権限が明確である。会議は日本同様多いが、そこはあくまで意見交換と情報交流のためであり、意思決定は議長、上司、責任部署が行う。必ずしも多数意見が採択されるとは限らない。結果については、決定者が全責任を負う。
先日のNHKスペシャル番組「テロからアフガンヘ」によると、イラク攻撃をアフガンと同時に行うか、アフガン攻撃のみ行うかの意思決定に際して、強硬派のチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、穏健派のパウエル国務長官らが激しく議論した後で、数日おいてブッシュ大統領が一人でアフガン攻撃のみ行うとの決定をしたという。まさにこれこそアメリカ流で、大統領の権限と責任が明白である。
また、米国社会ではこのように、いかなる分野でもリーダーになるためには、自分の意思決定が正しいかどうか、組織や部下の信頼が得られるかどうか、いつも現場でのテストが繰り返されている。この点わが国では、大学の成績、公務員試験の順番、あるいは人柄でリーダーが選ばれている。このように真の"リーダーを選ぶシステム"が社会に欠藩しているところが問題だ。
多少なりとも自分たちの意見が反映されるか、利害が加味されないと納得しない国民性にも問題があるだろう。いつも足して二で割る方式や、従来の慣行が重視されるのはそのためで、そこからは大胆な改革や発想は生まれない。すべてが、意見調整に手間取り、曖味な結論のまま、問題の先送りとなるだけである。
何でもありの自由社会米国
「アメリカの歴史は無人の辺境の地で、攻府の存在なしで始まった」レスター・サロー。
アメリカに新天地を求めてきた移民の多くは、母国の政治的抑圧、貧困、階級社会や因習を逃れて自由に憧れてきた人々である。精神的にハングリーで、野心的である。アメリカン・ドリームの実現のためには、見栄も体裁もない。法に触れないギリギリのところで、何でもやらかす。人生の目的は社会的成功であり、成功の尺度は高額の収入である。
以前ボストンのビジネス・スクールに留学した時の体験だが、"私の尊敬する人"という教授のアンケートにほぼ100%の米人学生が"お金持ち"と答え、外国からの留学生を驚かせたことがある。まさに、これこそ米資本主義の活力の源泉である。
アメリカでは、日本や欧州のように「まず政府ありき」ではなかったので、政府はいつも企業側が引き起こす挑戦や問題に後追いで対応してきた。例えば、日本よりはるかに優れていると思われてきた独禁法、不況時の福祉攻策、インサイダー取引の禁止などはすべて、政府が自由市場を唱える勢力と戦いながら実現してきたものである。
日本政府が商法を改正し、来春から実施しようとしている米国型の企業統治システムも、実は、70年代の米大企業の不祥事件、つまりペンセントラル鉄道会社の"粉飾決算事件"やウォターゲート事件直後に発覚した多数の大全業による"不正政治献金事件"が契機となってできたものだといわれている。
今わが国の経済界では、エンロンやワールドコムの会計疑惑に驚いて、アメリカ型経営の導入に反対の声も聞かれる。しかし、米国の企業システムは、あくまで米国の企業風土の中で育まれたもの。システムの有効性を論ずるより、米国社会の自浄作用、そしてあっという間に企業改革法を成立させ、資本市場の混乱を沈めたブッシュ政権の対応の速さに注目すべきである。
社会貢献が当り前
米国のビジネスマンがしばしば「何もしない政府が一番いい」という。何か不都合が起こると、すぐに政府の対応を期待するわが国民と正反対である。米国民は、建国以来市民の努力で国づくりをしてきたので、何事も"自由が原則"だが、社会秩序の維持も問題解決も"自己責任"を基本にしているように思える。
福祉、環境、弱者保護、調査・研究・教育など日本なら行政府まかせで市民がけろっとしている分野の多くは、米国では民間会社・一般市民の汗とお金でまかなわれている。政府の介入を嫌い、自由を尊ぶ社会では当然であろう。
米国では社会的成功をおさめた"お金持ち"が多額の寄付をし、大企業の経営者が週末に市民活動に参加することで尊敬される。社会奉仕は会社の活動、個人生活にしっかり根付いており、これが地域社会に受け入れられるための条件である。米経営者の高額報酬が最近メディア批判の対象になっているが、それは株主や、従業員との所得分配率の問題であって、拝金主義とかエコノミック・アニマルといったモラル批判を伴うものではない。
米国で生活していると、毎日寄付を求める訪間者や郵便物が押し寄せる。小口に分けて各方面に寄付しているうちに、ネズミ算的に要望が増えてきて遂にパニックを引き起こす。寄付を求めるほうも職業化しているようで、寄付者のリストが流され、感謝状の代わりに、さらなる増額要求がすぐ舞い込んでくる。そこには恩着せがましくモノを与え、感謝を期待するという情緒的関係はまるでなさそうである。日本人にとっては、これはもうまったく"ノーカン"の世界で、不慣れな文化である。
米国はミニ・グローバル社会
何でもありの米国社会では、異人種、異文化同士の摩擦があり、犯罪などの影の部分も多いが、いろいろの異文化が互いに触発されて、新しいものが生まれてくる光の部分がすばらしい。米経済は世界最大規模の成長市場。今でも、人口が増え、成長が続いている。
世界中から自由を求めてヒト、モノ、カネが集まる魅力的な移民国家。そこで醸成されたビジネス、情報、技術が再び世界に還流、伝播される。世界一の科学技術、IT、航空宇宙、バイオ、医学などの産業を持ち、世界最強の政治、軍事力を保持し、世界最高レベルの大学、シンクタンク、研究所を持つ。競争して知恵を絞るから、金融、証券をはじめ、弁護士、会計士、コンサルタントなどのサービス産業も世界を支配するレベルになった。
米ビジネスマンは、口癖のように余計なことをしない"安い政府"がベストという。何でもありの"自由"と政府を当てにしない"民主"の気風がアメリカの活力の源泉である。
これに対して、日本人はお行儀がいいが、無責任、無難を好む。何事も、政府や役所頼みで、陳情が大好き。わが国の金融機関は改革が進まず、何時までも立ち直れないのは、長期にわたる政府の保護政策が原因であろう。
今日、アメリカン・スタンダードがグローバル・スタンダードたりうる理由は、アメリカ社会そのものが、ミニ・グローバル社会だからだ。200年間、異文化を背景にした移民同士が、社会秩序を維持し、発展させるために、工夫しながらつくり上げてきた社会システムだからである。日本人が最も学ばねばならないはこの文化である。
日本のアイデンティティ
米国で鉄銅会社を経営してみて、日本企業の強さはモノづくりにあると、再認識した。
日本では、生産現場の労働者がしっかりしている。設備や道具を大切に扱い、品質を重視する姿勢は日本人の伝統である。だが終身雇用を前提とした徒弟制度的技能の伝承が、今崩壊しつつあるのは、日本の将来にとって深刻である。
米国では、テーラリズムの弊害か、あるいは奴隷制の名残りなのだろうか、ブルーカラーの仕事を単なる労働力としてしか見なさない風潮がある。品質は製造コストとのトレード・オフと割り切り、返品やクレーム処理で対処する。設備のメンテナンスは機械会社まかせ。労働生産性の向上が現場の最大関心事であり、工場長には技術者より労務畑出身が多い。
一方、日本企業の弱点はホワイトの低生産性ではなかろうか。日本のホワイトは米国人に比ベパワー不足で、専門分野のないジェネラリストが多い。責任権限が不明確なため、集団主義の非能率と無責任体制が蔓延している。この点が問題だ。実力主義は建前だけで、年功管理、または情実人事が横行している。これが、わが国の金融・証券などサービス産業の弱さの原因でもあろう。
さらに、日本では"物を大切にするが、情報やサービスはタダ"の風潮がある。しかし米国ではそのまったく逆で、"物は使い捨て"が当り前だが、サービスには必ずチップを払い、情報やノウハウには高額の対価がつきものである。職業としてサービス産業が圧倒的に高給で、当然有能な人材がそこに集まる。
わが国のグローバル社会への対応は、米国のような魅力ある国づくりにあると、私は信じている。
日本の社会は、大量生産、貿易立国を基本にした高度成長時代の成功体験から、まだ十分脱却できていない。そして日本人は学ぶ姿勢を忘れてしまっているのではないだろうかか。日本人がアメリカを知っている以上に、アメリカ人は今でも日本をよく研究し、日本から学ぶ努力をしている。われわれ日本人はグローバル時代の新しいパラダイムに早くギヤシフトすべきである。円高や産業の空洞化はまだ日本に国力がある証拠である。まだ国力があるうちに、アメリカのように世界中のとまでとは言わないが、アジアのヒト、モノ、カネが日本に集まり、技術や情報が日木からアジアに発信されるような"魅力ある国づくり"を急ぐべきである。
日本はあくまでモノづくりが基本だが、サービス産業にもまだまだ発展の余地がある。日本には日本人自身が気づいてない優位性がいくつもある。それは例えば、"美しい国土"を利用した観光、ホテル、国際的イベントなど、また"清潔で安全な社会"をテーマに治安、環境関連ビジネスなど、さらに"世界一の長寿"をアピールして老人医療・介護、健康食などの関連ビジネスを生むチャンスかもしれない。
日本人の性格や文化を一朝一夕には変えられないだろうが、自分たちでできないのなら、大勢のゴーンやトルシエを雇う方法だってある。
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